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King Crimson / Larks' Tongues In Aspic

太陽と戦慄(紙ジャケット仕様)
キング・クリムゾン
WHDエンタテインメント (2006-02-22)
売り上げランキング: 36965

R.Fripp以外のメンバーを総入れ替えしての出直しの再デビュー(?)作。

King Crimson line-up 3
第3期クリムゾン

Larks` Tongues In Aspic : 太陽と戦慄
5th album : 1973

Side A
1 : Larks` Tongues In Aspic Part I : 太陽と戦慄 パート1
2 : Book Of Saturday : 土曜日の本
3 : Exiles : 放浪者

Side B
1 : Easy Money : イージー・マネー
2 : The Talking Drum :  ザ・トーキング・ドラム
3 : Larks` Tongues In Aspic Part II : 太陽と戦慄 パート2

Personal :
David Cross : Violin,Vliola,Mellotron
Robert Fripp : Guitar,Mellotron & Devices
John Wetton : Bass & Vocals
Bill Bruford : Drums
Jamie Muir : Percussion & Allsorts

YESに在籍していたB.Bruford、Familyに在籍していたJ.Wettonといった有名どころから、当時は無名に等しかったJ.Muir、D.Crossといったメンツを揃え、今までの「叙情性と衝動性のバランス」といった力点から「即興による偶発性と精密機械のような構築性」、「ハード・メタリックかつドライ・リリカル」といった対立する方向性の両立といった形へとシフトチェンジしたと思います。

この時期を評する際によく言われる「即興性」は、何と言ってもJ.Muirの存在なしにはあり得なかったでしょう。数少ない当時のスタジオ・ライブを見たことがあるんですが、毛皮の上着を素肌にまとい、そこいらじゅうをウロウロしながらドラムに関わらず叩きまくり、バンドを騒乱の場に導いていく様は、良く言えば「鬼気迫る」、普通に言うと「キレたおかしなオッサン」といった具合で、R.Frippも統治しきれない治外法権のような位置にいたメンバーだと思います。

J.Muirの奏でるカリンバの小さな音色から、やがて大音量の音の騒乱へと雪崩れ込む「太陽と戦慄 パート1」、「土曜日の本」や「放浪者」のドライなリリカルさ。「イージー・マネー」は重くメタリックに仕上がっており、そしてこのアルバムのハイライト、「トーキング・ドラム」から「太陽と戦慄 パート2」への流れ、「トーキング・ドラム」での微細なウネリのリズムから次第に盛り上がってゆき、それが頂点へ達したところで「太陽と戦慄 パート2」へと雪崩れ込む様はいつ聴いてもゾクゾクします。

メタリックな点においてはファースト以来培われてきたメタリックな音楽性をより強固に前面に出し、インストルメンタル「太陽と戦慄パート1・2」では、「21世紀の精神異常者」などにおける「言葉を伴って語られる音楽性」から一段階上の「音のみにて語りえる音楽性」を表現できるレベルへと上がったように思います。また、リリカルな点でいえば、このアルバム以前でみられた「ウェット」な叙情感・リリカルさは一掃され、あくまでもドライに仕上がっているのが最大の違いでしょう。

B.Bruford+J.Wettonの暴走リズム組とR.Fripp+D.Crossのリリカルリード組、そしてJ.Muirのバンド内での異物として存在感、これらが非常にうまく融合したのがこのアルバムだと思っています。
ただ、バンド内に異物として「一要素」としてだけJ.Muirの存在感が欲しかったように感じられるFrippではありましたが、一要素として加入した筈のMuirが徐々に独り歩きを始め、バンドがfrippの思惑とはドンドン異なった方向へと動くこともママあり、統制が取れなくなってきたために、二人の間で確執があったなんて記事も読んだことがあります。

J.Muirの一般的な脱退理由としては公演中の負傷のためとかチベットへ修業へと赴くためなどといわれていますが、Muirが思い描いていた、もっとフリーに近い音楽性・バンド形態などといったものに対して、Frippの理想とする音楽性 【最終的には構築的にまとめあげるもの】とバンド形態【リーダーではないと言いつつも最終的には自らが統率するといったもの】とのギャップもあったのではないかなんて勘ぐってみたり。

そんなバンド内のあーだこーだっていうことは、このアルバムを聴く際にはもちろんのこと全く関係ないし、当時どんなことがあったのであろうとも、このアルバムのメタリックな輝きが変わることはないと思います。現行のラインナップである第5期クリムゾンでも、「レッド・クリムゾンのイディオム」を使うと言って憚らないくらいにこの時期の方向性を重視した形で活動をし、なおかつこの方向性を上回るものを造ろうとしてもがいているのではと思われます。

現在にまで連なるといった点においても、ファースト以降のゴタゴタから抜け出し、強力な布陣にて開始されたこの時期からが、第2の、もしくは本当の意味で「キング・クリムゾン」が始まったのではないかと思います。

後記;以前友人が「もし初めて聴く人にクリムゾンを奨めるんだったら、やっぱ『宮殿』かなぁ?」なんて言っていたので、私が「イヤイヤイヤ、『戦慄』か『レッド』でしょう、でも、ホントは『レッド』なんだけども『戦慄』奨めるのもヤブサカじゃないしなぁ、う??ん、でもなぁ(...と、以下延々と続くので略)」なんてブツクサ言っていたら、その友人イヤ?な顔してましたっけ。

ここら辺はオタクのコダワリといったところでしょう(苦笑)。



2006/12/19 追記
この時期のクリムゾンといえば、やはりJamie Muir、この人抜きには語れないでしょう。この時期のクリムゾンによりはっきりした形での即興というものを持ち込んだ人物でありそれ以降のバンドに多大な影響を与えながらアルバム一枚で脱退してしまったのがJamie Muirでした。

R.Fripp御大編纂の「公式』クリムゾン史では

2月17日
メロディ・メーカー誌/ザ・レイヴァー:キング・クリムゾンがマーキーでゴキゲンなギグを行った。
まずジェイミーが前の晩妙な具合に怪我をしてしまったので、出られなくなり我々は初めてカルテットとしてプレイした。そしてジェイミーは二度と戻っては来なかった(R.F.)

The Essential King Crimson:Frame By Frameライナーより

となっており、また「太陽と戦慄」日本語版ライナーでは2月10日のマーキーのショウにて自らの振り回した鎖が頭に当たり出血、翌日のショウをキャンセルする事となる、という記述が、またエリック・タム著「ロバート・フリップ キング・クリムゾンからギタークラフトまで」では、ゴングを足に落とし重傷を負ってしまい、そのまま脱退、スコットランドで僧侶となるなどという記述があったりします。

J.Muir自身、以前からチベット仏教に強い興味を示しており、この怪我がきっかけとなりバンドの生活から一転インドやネパールにて僧侶としての生活を送る事を決意したと思われます。

「?覚えているのは、突然、一晩のうちに辞めようという気分になって、それでマネージメントへ行ってその話をしたらとてもショックを受けたようだったけれど、でも、それを無理にとめたって、今度100%、力を出せるわけじゃないからね。それで、向こうもあきらめたようだった。グループは音楽的にも高いレベルにあったと思うし、売れてもいたから、非常に無茶な事をしたのかもしれない。でも、たとえば。子どもが産まれるとか、何かが誕生するというのは、いつも新しい始まりで、何かこう楽しいのと同時に恐いような気持だよ。クリムゾンにいる頃、何かそういう気持がずっと続いていたんだよ。それで、ある夜、悟りじゃないけど、急に気がついて、それで辞めた。」
MARQUEE別冊「キング・クリムゾン」J.Muirインタビューより。



本人が言うのだからこれが一番正しいのだろうけれども、何はともあれ、「太陽と戦慄」一枚限りで脱退してしまったJ.Muirでしたが、彼の公式な活動の足跡はこのアルバム、The Collectors' King Crimson Vol.One「The Beat Club,Bremen 1972」やVol.Seven「Live in the Zoom Club,1972」などで聴く事が出来ます。どちらのライブでも崖っぷちを崩れ落ちそうになりながらも全速力で突っ走っていくような、緊張感あふれるライブ演奏を聴く事が出来ます。

ただ、「Live in the Zoom Club,1972」ではキング・クリムゾン公式史上最長とおもわれる、45分にもわたるインプロヴィゼーション曲「Improv: Zoom Zoom」が収録されていてるので要注意です(笑)。ところどころで凄い一瞬がある大作なのですがさすがにこの曲を通しで聴くと、聴いているこちらも緊張でヘロヘロになる事請け合いです。

また、現在では廃盤となっているビデオシリーズ「ビートクラブ」中に収録されていた「Larks` Tongues In Aspic Part I」の演奏風景はもう圧巻です。何といっても毛皮の上着を着てせわしなく動き回り楽器とも思えないようなものを叩きまくり、バンドを騒乱の中に引きずり込むJ.Muirの勇姿を見る事の出来た唯一の映像でした。今は廃盤となってしまっているためそのビデオを観る事が難しくなってしまってはいますが、さすがネットの世界にはあるものです、You Tubeにこのときの映像もしっかりとアップロードされております。画像はひどく粗いものとなってはいますが、当時の騒乱の状況はつぶさに感じ取れる一品、未見の方がいればこれは必見です。

最後にJ.MuirがR.Frippに送った葉書の一節

All Part of rich tapestry of life(人生の豊かなつづれ織りすべて)


「The Beat Club,Bremen 1972」中のインプロ曲のタイトルにも一部使われたこの言葉ですが、何故かずっと心に引っ掛かっていて今でも好きな言葉です。

...つーか、追記のくせに長過ぎだよ>自分。

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テーマ : 洋楽CDレビュー - ジャンル : 音楽

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キング・クリムゾン 11

NO.01795 キング・クリムゾンのオリジナル・アルバム『太陽と戦慄』(1973年) 1度は、解散宣言をしたロバート・フィリップが再び制作意欲を取り戻して復活させ ...

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先日は拙ブログにTB、コメントありがとうございました。

クリムゾン作品群の解説素晴らしいですね。それぞれライナーに使えるのではないかと思うくらいです。

この作品についてもここまで解説されているともう言うことはないですね。
あと私が付け加えたいのはJohn Wettonヴォーカルの出現です。彼はその後ベーシストよりヴォーカリスト(とメロディーメーカー)として大成していくわけですが、その出発点とも言えます。Boook Of SaturdayやExilesで既に完成の域に達しているWettonヴォーカルがバンドと作品に新たな側面を与えていますよね。

>>swjpboさん

書き込みありがとうです~。

J.WettonはKing Crimsonではベーシストとのイメージですが、実は後のASIAで顕著となるポップ・ソングの名手なんですよね。ホント良きヴォーカリストでありメロディ・メーカーだと思います。UKやその後のソロアルバム、ASIA等を変遷していった事を知る今の視点で見ればアルバム「Red」はJ.Wettonのポップ・ソングへの指向とKing Crimsonの目指す音楽性のギリギリの融解点だったのかな?なんて気もします。

今後ともよろしくお願いします。
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